Osaka University of Tourism’s
Web magazine”passport”
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タイ社会の底辺で考えたこと
今年の1月にゼミの3年生を連れて東南アジアのタイ王国?バンコクのNGO、ドゥアン?プラティープ財団を訪ねた。
NGO(Non-Governmental Organization)とは非政府組織のことである。このNGOは、バンコクの代表的なスラムのひとつ、港湾部のクロントゥーイ地区にあり、この地区の貧民層を地域開発や教育事業推進などの観点から40年に渡り支援しつづけている。筆者にとってほぼ30年ぶりの訪問だったが、クロントゥーイ?スラムでの見聞は、そこでの不衛生さや貧困のありさまを再認識させてくれた。スラムとは言え、タイ的な明るさが見て取れたのは幸いだった。
スラムや貧民層と一口に表現しても、今の日本人にはすぐには認識できないかもしれない。70年代には「一億総中流」という言の葉が生まれ、日本の多くの人々が中流層だと思っていた。そんな時代があった。「格差社会」という語句が出現し、日本の社会に経済的な格差があると認識されるようになったのは、90年代以降である。
貧困者層は世界的に拡大している。日本でも近年、非正規雇用者や子どもの貧困が注目の的になっているが、それは相対的貧困を意味する。そのことは格差社会の一面を指し示してもいる。
ところで、日本やタイはいちおう、民主主義社会である。「いちおう」というのは、タイの現政権はクーデターによって成立した軍事政権であり、国民がそれを追認した特殊なタイプだからである。民主主義社会のひとつの特徴は平等性にあるのだが、現実的にはそれぞれが不平等な社会である。極端な見方をすれば、財や資源を「持つ者」と「持たざる者」とに分け得る。またタイは王制であり、国王はタイ国民の心のよりどころになってきた。クーデターの際には国王が混乱を回避する役割も担ってきたが、代替わりもあり、タイ王室への信頼度は低下気味だと言われている。
このクロントゥーイ?スラムは絶対的貧困層の集居区として発達した。今や人口12万人の大コミュニティを成す。ここでの主たる職業は「雑業」である。それには例えば建築業の下請け、ゴミの分別、ミシンによる衣料の部分縫製等々がある。不定期で日ごとに変わるそうしたシゴトをこなして初めて、1日の報酬を得られる。
ここまで記しても、まだバンコクの貧民層の生活実態の理解にはほど遠いかもしれない。上でいう丸1日の労働の対価は最低賃金の310バーツ、日本円にしておよそ\1,040である。それをNGOの日本人職員に聞かされた学生はひどく驚いていた。日本での\1,040の金額は、せいぜいファミリー?レストランでの食事代程度である。日本とタイとの間に根本的な経済格差があるにせよ、1日最高で\1,040しか生活費に充てられない。それは想像の埒外ではないか。
世界73億人のうちで12億人もの人々が極度の貧困状態にあり、1日1米ドル未満での生活を余儀なくされている。語弊があるかもしれないが、そうした絶対的貧困者が社会のなかで働ける場合はまだ良い。ドゥアン?プラティープ財団の職員の方が下のごとくの話をしてくださった。
昨年の6月、一人暮らしをしていた78歳の老女がこのスラムで亡くなった。所持金をほぼ使い果たし、電気も止められてしまったため、老女は手許のローソクを電灯替わりにして夜を過ごしていた。ある日、その老女の家から出火して、彼女は遺体で発見された。火災の原因は他ならぬ、そのローソクであった。クロントゥーイ?スラムでは全世帯の1%ほどがローソクでの生活を余儀なくされている。
これは決して笑い話ではない。貧困から見えてくる実態とはそのようなものである。
日本では相対的貧困が進んでいるとされる。その傍らでグローバリゼーションの影響は確実に及んでいる。これは日本だけではなく、世界次元の現象である。その代表格であるスマートフォンについて言えば、すでに世界各地で多くの者が利用中だ。バンコクでもスカイトレインやバスに乗ると、乗客がほぼ無言でスマートフォンを操作する光景に出くわす。スラムの成員の間にも、困窮してそれすら持てない者がいれば、スマートフォンで日雇い労働者を管理する者もいる。これはリテラシーや経済の問題であるのだけれども、スラムにもそうした格差は存在する。他方、テロ事件を起こし、治安を悪化させるイスラム過激派の動きがタイの南部にも確認できる。タイ中央部との経済格差がはなはだしく、地場産業に劣るという現地事情もある。彼らの連絡網は情報通信技術(ICT, Information and Communication Technology)を背景にして築かれた。その意味で格差社会は非常に皮肉な、アンチ?グローバリズムの表出形態である。
このグローバリズムの恩恵を受けてきた既存の産業に、製造業がある。製造業には様々な様態がある。タイにしてもここにいきなり貧困者層を労働力として即、投入できるだろうか。いや、そう単純ではない。先にも述べたように、絶対的貧困者層ではまず識字能力や経済格差がボトルネックとなり得る。製造業は水平分業が進み、国際競争力が不可欠な分野である。そのためのスキルは最低限、必要であろう。国境を越えたコスモポリタニズムに崇高な理念と文化的資本が必要であるように、情報通信技術やAI(Artificial Intelligence)と組み合わさった今日の製造業では、知識も技術も投資力も須要なのだ。人材不足である製造業の現場にも技術革新の波が訪れる以上、将来の製造業はその変革を受容した者だけが享受する業種になるのではないだろうか。職人技にも技術が求められる時代である。実際のところ、「東洋のデトロイト」と呼ばれたタイでは、製造業の復興が模索されている。
さて一昨年、日本では働き方改革の取り組みが提示され、今年になって関連法案も成立した。さらに日本政府は本年6月に、外国人労働者の受け入れ拡大を認める方針を示した。2025年頃までにその数を50万人超とし、その領域は単純労働者の職域にも及ぶという。建設業では当該年約30万人の確保を目標にしているし、農業では数万人以上を受け入れるとしている。
25年の日本と言えば、その年以降、いわゆる後期高齢者が急増し、医療費負担などが社会に大きな影響を及ぼす「2025年問題」で知られる。同時に日本は将来的な人口減少も予測されている。明るい未来を描く施策なしに、いきなり8年間で50万人の外国人労働者を急増させたとして、果たして国民が希望を持ち続けられるのか。就労開始の時点で求められる日本語能力はN4(4級、N1が最上級)だが、さらなる高みを求めるのは酷だろうか。
一方のタイも60歳以上の高齢者の割合が2015年に15%を超えた。合計特殊出生率は1.5程度である。つまり、高齢化と少子化は同時進行の過程にある。その状況はどこかの国に似ている。タイでは内務大臣裁量で不法移民を労働者として認めていたが、2008年の改正外国人雇用法によって隣国のラオス、カンボジア、ミャンマーからの非熟練労働者は正規の労働者として扱われるようになった。ちなみに、クロントゥーイ?スラムにはミャンマー国籍のビルマ人やカンボジア国籍のクメール系の人々もいるのだが、「貧困の文化」ゆえか、それとも東南アジア的に共通する文化要素を持っているがゆえか、文化摩擦は少ないそうである
ヨーロッパなどでは流入し過ぎた多数の移民が失業率を増大させ、各国で不満が募っている。これはグローバリゼーションの弊害なのだが、日本が大量の外国人労働者を受け入れた時、このようなリスクを回避できるのだろうか。外国人労働者の受け入れにしても、質より量か、はたまた量より質か? 日本の社会はいったいどこでこうした難問と折り合いをつけるのか。この人的パズルゲームの行く末を見届けたいと思う。
帰りの日本に向かう飛行機のなかでは、文化的差異や経済格差、そして貧困とグローバリゼーション、外国人労働者問題が頭の中で渦巻いていた。よき友人とは自己の批判者であったりもする。「人の振り見て我が振り直せ」とのことわざを肝に銘じつつ、おのおのの国の動態には注目しつづけたい。
(たにぐち やすひさ/文化人類学?中国+大陸部東南アジア地域研究:本学?滚球体育app_188比分直播-在线|平学部 教授)
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