Osaka University of Tourism’s
Web magazine”passport”
「passport(パスポート)」は、観光や外国語、国際ニュースなどをテーマに、
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「水の都」ヴェネツィアとその痕跡を訪ねる旅
世界各地には「水の都」と呼ばれる都市があります。たとえばオランダのアムステルダム、ロシアのサンクトペテルスブルク、ベルギーのブリュージュなど。かつての大阪もそうでした。ただこれらの多くは、陸上にある街の中へ多くの運河が張り巡らされているという意味での「水の都」といえましょう。
しかし、それらとまったく違った「水の都」こそ、北イタリア?ヴェネト州のヴェネツィアです。なぜならヴェネツィアとは、潟(かた、ラグーン)と呼ばれる浅い内海の真ん中で、浅瀬や小島に杭を打ち込んで基礎が造られ、それが大きな島となっていった都市だからです。
どうしてそんな街ができのたかというと、7世紀から9世紀にかけて、異民族の侵攻に悩まされていた人々がみずからの身を守るために、安全な海の中を選んで、これまでにない革新的な形態の都市を生み出したのでした。
ですからヴェネツィアは、現代でもまったく独自の都市構造を持っています。
?たとえばクルマが入れるのは島の入口まで。そこから先は船に乗るか、迷路のような細い路地を徒歩で移動するしかありません。あるいは街中を縦横無尽に走る大小の運河も、単に船を通すためのものではなく、潟の中での水の流れをよどませないという目的も持っているのです。
そんな無数の路地と運河にみちたヴェネツィアは、世界のどこにもありえない、まさに迷宮のような「水の都」-世界文化遺産に登録され、年間1,000万人もの観光客がやって来るというのも納得のいく話しです。私自身、何回訪れても魅了されてやみません。
ところで、中世のヴェネツィアは強力な海軍を有する海洋国家でもあり、東地中海に多くの領土を持っていました。最盛期の領土は、おひざ元のヴェネト州のほか、現代のトルコ?キプロス?ギリシア?モンテネグロ?クロアチアなどにもおよんでいました。
もちろん現在では、それらの地域に、ヴェネツィアが支配していた頃の面影はあまり残ってはいません。しかし、それでもよく観察してみると、思いもかけぬかつての痕跡を見出すことがあります。
特に翼を持ったライオンの意匠は、「サンマルコの獅子」といってヴェネツィアのシンボルとされており、街の中心、サンマルコ広場に建てられた円柱の上に鎮座している巨像はたいへん有名です。実はこの「サンマルコの獅子」がかつての支配地域のあちこちに今でも残されているのです。たとえば大きな街の門や主要な建物の外壁には、立派なレリーフ(浮彫彫刻)が残っていたりしますが、私が最も印象的であったのは、ヴェネト州の北のはずれ、プリモラーノという小さな村の広場の泉の上に小さなライオンを発見したことでした。
もう顔の部分は摩耗して読み取れなくなっていましたが、その姿はまぎれもない「サンマルコの獅子」です。こんな寒村にまでヴェネツィアのシンボルが刻まれ、今に伝えられていることに、私は深い感銘を受けました。このような「サンマルコの獅子」の意匠は、ほかにもヴェネツィア支配が長かったクロアチアなどに数多く残されているそうです。
ヴェネツィアそのものの観光が素晴らしいのはもちろんですが、今ではまったく関係がなくなった地域へ、かつての「水の都」の痕跡を訪ねるというのも楽しい旅になると思います。
参考文献:ジャン?モリス(椋田直子訳)(2011)『ヴェネツィア帝国への旅』講談社学術文庫